短歌批評1 青春の揺らぎと自意識
ナンパしてみたいけれどもなんぱゆるすをんなとは口をききたくもなし
大松達知「フリカティブ」
思春期特有の自意識が見え隠れする。思春期最大の関心事といえば性であり、世界は性を中心に回っているといっても過言ではない時期である。それぞれに理想とする威勢の対象像はあれど、共通していえるのは、はじめは接触できない対象として認知されることである。
一言でいえば「憧れ」だ。
すべては憧れからスタートする。それは一目見た時から運命的な形で始まるのかもしれないし、何気ない接触の中から徐々に生まれてくるものかもしれない。
いずれにせよ彼ら、もしくは彼女らの中に、自分にはないキャラクターを見出している。
そこには期待がある。かたちは違うにしても、おおむねそれらは為政しての役割を期待される。
テーマにもなっているナンパというワードにも、明らかにその役割が期待されている。
憧れの為政をわがものとするには、まずはその対象と出会うところから始めなければならない。
そのもっとも原始的で初歩的な方法がナンパだろう。
視界に入った女に声をかける。
言葉にすれば簡単そうに思えるこの行動も、いざ自らやってみるとなるとそうとうにハードルは高い。
届きえぬ為政への思いは、そのまま地震へのにんしきへと変わる。
女に声もかけられない自分なんて、、、
その認識、自意識こそ思春期特有だろう。
どうしようもない自分、何も行動できない自分、変えられない自分、、
それらを支えるのが自意識、ぷらいどだ。
おとこはプライドでできている。
大げさにではなく、そのままの意味でだ。
カッコ悪いじぶんなど見たくはない。むしろそれは自分ではない、、
そんな意識が見え隠れする。
しかしその真理からは逃げられない。
ナンパしようとしているのは、他でもない、「ぼく」なのだから。
逃れられないループのなかで、必死で足掻こうとするのではなく、あくまで自己を崇高な存在として捉える。
男ってバカだなあ、なんて声がきこえてきそうだ。
紛れもない事実なんだけど。ホントはね。
けど言っちゃいけないこともこの世の中にはあるということだ。
これって全部、君の頭の中で完結してることじゃん、なんて、口が裂けても言っちゃダメなんです。
だって、ナンパでついてくる女なんて軽いんですから。そんな軽い女、ぼくには合わないんですから。
なんて、自意識。愛らしい。愛してあげてね。
男なんて、みんな、バカなんですから。