過去と他人を振り返る。万物流転。汝、汝自身を愛せ。
大きなとっぴくすは三つです。
人と会うことは刺激になる
というのは当然なんだけど、それと同じくらい重要なのは、昔の自分たちを振り返る、ということだ。
人と会うことは現在の自分にとって新しい刺激を得ることになるんだけど、
昔の自分たちの映像や記録を見ることによって
昔の自分+昔の知人、およびその関係性という3つの視点からみつめなおすことができる。
よく、本は何度も読み返すべきか議論があるけど、
繰り返し読むべき派の主な主張はその時の自分とは違った感じ方ができるから、というものがあって、その主張の正しさを実感した。
同時に、昔の自分の愚かさを実感もした。
さて、ここからは2かげつぶりにふっかつしたみんな大好きユーチューバートーマスの日記から感じたことになる。
・何事も、終わるときは終わる。
盛者必衰、万物流転。終わりは必ず訪れる。
というのは当然なんだけど、俺の場合はあらゆる物事が終わらないようにリスクヘッジする傾向があって、それはいいんだけど、終わったときに新しいこと始める。ということへの備えができていないと感じた。
終わらせない努力+終わっても次を始められる努力
の両輪で物事を進めることが必要になる。
そもそも人間は飽きるし(国分先生の暇と退屈の倫理学を参照)。
・今こそ堕落が必要
現状維持をするには、向上心を持って取り組まなければならない。
なぜなら、人間は加齢によって劣化するし、周囲の人間は努力し続けるから。
しかし、これは永遠のラットレースを続けることに他ならない。
この永遠のループから解脱するには、現状維持を肯定し、堕落を肯定するしかない。
(かの有名な堕落論というやつか)
隣の芝生は永遠に青いわけであるから、この悩みは永遠に尽きない。常に他人は存在し続けるし、常に自分よりも優秀な人間は存在し続ける。
ここで、肯定の基準を、他人から自分自身に移す必要がある。
他人に好かれる努力をする前に、自分自身が自分を好きにならねばならない。
そもそもなんで俺たちは悩むんだって話なんだけど、ここには理由が二つあって、
賢いから
暇だから
この2点に尽きる。
ハムスターに悩みなんてないし(あったらあんなにぐるぐる走り回ってない。超常刺激を参照)、俺たちは賢いがゆえに未来を夢想し、可能性を査定し一喜一憂する。
そして、ふたつめは暇だから。
ここで、仮の話をしよう。
ここは戦場である。
じゅうだん、砲弾が飛び交い、一瞬でも油断すれば死が訪れる極限状態。
こんななかで、人生の意味を悩むことはあるだろうか。
きっとないはずだ。あればきっと君は死んでいる。
ただ生きるためだけに必死にならねばならぬ環境にいるならば、生きるため以外の悩みは存在しなくなる。
暇があり、悩めるということは途方もなく幸せなことなのだ。
人生と同じように、悩むことに意味はない。
我々は本能のまま生きていいのだ。